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今月のテーマ
2008年1月のテーマ 「二大政党」
第4回 日本人に二大政党制はむくか
08.01.28
米国出身のタレントと話していて、妙ななぐさめられ方をしたことがある。

「アメリカで二大政党制が固まるまで200年かかった。日本人も焦ることないよ」
ちょっと待った。
言わせてもらえば、政権交代は何も欧米の専売特許ではない。中国には「易姓革命」、わが国には「源平交代思想」という概念がある。交代のスパンはやや長いけど。

それに、そもそも米国型の二大政党制は本当に世界のスタンダードといえるのか。

日本人の多くは、外国というと、米国のことが真っ先に浮かび、スタンダードと聞けば、米国のもの、という気がしてしまうかもしれない。
しかし、二大政党制についていえば、例えば、フランスやドイツは「事実上の」と注釈がつく状況であり、発展途上国を除けば、シンプルな二大政党制をとる国は、米国、オーストラリアあたり。
つまり、アングロサクソン系だが、その中にもバラつきがある。
本家の英国は、今や自由民主党という第三党があり、そのほかスコットランド民族党など地域政党も力を持っている。
カナダは、自由党とカナダ保守党のほか、第三党として新民主党がある。
ニュージーランドは、1993年に選挙制度が変わって多党化した。
当の米国も、国民が現在の二大政党制で十分満足しているか、というと、大統領選挙のとき、ロス・ペローという富豪が第三党を作る、と言い出して、国民の支持を集めたことがある。

となると、素朴な疑問がわいてくる。

もしかして、二大政党制という仕組み、アングロサクソンという人種に向く制度なのではあるまいか。
本当に日本できれいな形の二大政党制が機能するのか。
台湾のように国民を二分する政治テーマでもあれば別だが、今のところ日本は、そういう感じでもない。
それでも、わが国では二大政党制が理想的な政治制度のように言われ続けてきた。そのため小選挙区制も導入された。
その流れは、小沢一郎という一人のエネルギッシュな政治家をエンジンとして作られたものといっても過言ではない。

その小沢さんが書いたコラムが昨年、ウェブでちょっとした論争を巻き起こした。

就職する意識がなく、職探しも、進学も、職業訓練もしない若者たち、いわゆるニートについて書いた文章だが、けっこう思い切ったことを書いている。
「漠然と人に寄生して生きている」
「ニートの親は動物に劣るといっても過言ではない」
拍手喝采の保守主義者も多かろうが、ニートが大量に生まれた背景に、小泉政権下の新自由主義的な経済政策と労働政策のチグハグさがあるとすれば、そのあたりに言及してもよさそうなものだが、そういうことではないらしい。

かつての小沢さんを知る者にすれば、「らしい」主張ともいえる。

小沢さん、その昔、『日本改造計画』で自己責任を強調し、新自由主義的な思想を提唱していた。
その後、小泉さんが「自民党をぶっ壊す」と叫び、新自由主義的な構造改革を進めたため、お株を奪われるような形になった。
やがて「小泉改革のせいで経済格差が広がっていた」と言われるようになると、小沢民主党としては「是正せよ」というレトリックが分かりやすいということだったのか、先の参議院選挙では「国民の生活が第一」と謳い、月額一人2万6000円の子ども手当だとか、農・林業のための個別所得補償制度など社会民主主義的な政策を打ち出した。
小沢さんの変身について、「政治的に成長した」とする人もいれば、選挙のための戦術とみなす人もいる。
もちろん、民主党をまとめる、という思惑もあったろう。選挙巧者の小沢さん、労働組合の組織力が必要と判断して当然だ。

ニートに関する言葉から自己責任について今も強いこだわりをもっていると感じられる。

国際貢献を強調する小沢さんからすれば、憲法をたてに何もしようとしない日本は「引きこもりのニート国家」に見えるのかもしれない。
しかし、さらにしつこく疑えば、本当に勧善懲悪のハリウッド映画のような米国流の二大政党制を信奉しているのだろうか。もしかすると、政界再編のツール、過渡的な政治体制ととらえてるいのではないか。
しかし、さしもの小沢さんも、ここにきて攻め手に欠いているように見える。
一方の福田総理はひたすらガードポジションだ。
自民党も民主党も多様な主張を抱え込んだままで、どうもすっきりしない。
また、ガソリン税をめぐって民主党から造反議員が出たが、このままでは不安定さが残るだろう。
ここはいっそ、アメリカにならって民主党も自民党も全面的に党議拘束を緩めたらどうだろう。色々なことについて自主的に投票させていけば、いずれ理念に基づいたグループにまとまっていくのではなかろうか。
【易姓革命】
天は自らに代わって徳のある一族に王朝に地上を治めさせる。その王朝が徳を失い、見切りをつけると、天は新たな一族に王朝を治めさせる、という孟子の思想。平民でも王朝をひらける根拠とされる。

【党議拘束】
議会の採決の前に所属する全党員の投票行動に拘束をかけること。デメリットとして、拘束があまりにきついと議会活動が形骸化する、という識者がいる。大統領制のアメリカはほとんど党議拘束をかけない。日本でも、民主党は「国旗及び国歌に関する法律」で党議拘束をかけなかった。
第3回 「旗印は何だ」
08.01.21
松下電器がパナソニックという社名になるのだとか。

創業者・松下幸之助さんの影響は、立ち上げた会社の社名に残るばかりでなく、現在の政界にも及んでいる。
「経営の神様」と呼ばれた松下さんは「経営の最大のものが政治」ととらえ、「保守二党論」、つまり、政権を担当できる保守系の二大政党で政権を争い、切磋琢磨していくべき、という考えを持っていた。
そこで、私費を投じて創設したのが松下政経塾だ。
自民党にも民主党にも、そこの出身者が大勢いる。
そういえば以前、松下さんから直接、教えを受けたことがある、という松下政経塾出身のある代議士と話しているとき、彼がこうもらした。「松下さん、本当は保守新党を作りたかったけれど、リスクを考えて学校にしたのだろう」
今や「結党以来の危機」に瀕している自民党だが、当時は圧倒的な力を誇っていたから、それに対抗するような形で新党を立ち上げれば、事業にリスクが及びかねない、と判断したのかもしれない。

では、松下さんが望んだ保守二党体制は到来したか、

というと、そこがどうもよく分からない。
民主党は保守なのか、あるいはリベラルなのか。
自民党も自民党で、さまざまな政治思想の主が混在している。
現在の政界は、「保守」とか「リベラル」とか、自らの姿勢をはっきりさせている人の間でさえ、少しずつ思いの違いがあるようだ。例えば、日本の場合、保守といっても、親米保守か反米保か、という軸があるため、分類がよけいややこしくなる。
形のうえでは、なるほど二大政党制になっているが、いずれの政党も理念やカラーが判然としないため、ある種の居心地の悪さがあるのだろう。民主党が参院の第一党になった今、政界再編の話が浮上してきたのも、当然といえば、当然だ。

政界を見ると、まるで再編前日だ。

中川昭一さんたち保守系の議員が、派閥横断の勉強会を立ち上げたかと思えば、自民党内では、古賀誠さんと谷垣禎一さんの派閥が合流するとかで、「宏池会の再結集か」と騒がれる。それについて「民主党の一部と合流すれば、すぐ政界再編になる」と小泉総理の秘書官をしていた飯島勲さんがはやす。そういえば、ずっとくすぶっている、「政界再編になれば、小泉さんが出てくる」という噂は本当だろうか。
自民党サイドは、あえて内部分裂を見せて、幅広い有権者の支持を取りつけ、あわせて、政界再編をちらつかせることで民主党に揺さぶりをかけようというのか。
それとも、自民分裂の前兆現象か。
あるいは、ポスト福田を狙う総裁選を先取りした動きか。
もしかして、本人たちにも、そのうちのいずれか分からないのか。
政界再編をにらんで動き出した国会議員が多いようだが、では、どういう形の再編を考えているのか。

政治理念の代表的な分類方法が以下だ。

安全保障では、対外強硬派の「タカ派」、穏健派の「ハト派」。
内政では、「小さい政府」、「大きい政府」。
そして、たいてい次の組み合わせでとらえられる。
「タカ派・小さい政府」=市場原理重視
「ハト派・大きい政府」=富の再配分重視
小泉政権は前者で、その構造改革路線ははっきり小さな政府を目指すものだった。
では、福田政権はどうか、というと、「生活者・消費者が主役となれる社会」というスローガンからは、大きな政府的な感じが伝わってくる。そのため「国民の生活第一」と謳った民主党との違いがぼやけてしまった。意図的にそういう戦術をとったのかもしれないが。

フランス国旗の青・赤・白は、自由・平等・博愛の三大精神を示す。

その自由と平等のうち、いずれに軸足を置くか、というシンプルな二大政党制なら分かりやすいのだが、「格差」の声が高まる中、自由に軸足を置く勢力が力を失いつつある。
──リベラル的自由主義は、道徳的価値を破壊し、犯罪を増加させ、学級を崩壊させる。自由は厄介な代物だ。義務をないがしろにしたまま、自由のみ求めれば、たんなるわがままになる。個人主義が行き過ぎれば、個は、地域社会や家庭から離れた「負担なき自我」となり、社会から隔てられる。子供は減少し、家族も地域社会も国家も崩壊していく──とする保守主義者が力を持ち、「地域社会を救え」とばかりに、リベラル政党ともども、競うように「大きな政府」を目指すことになりはしないか。
そうなったとき、心配なのが、わが国の財政難だ。
松下幸之助さんの「無税国論」ではないが、わが国政府は国営石油会社や国家ファンドでバンバン稼いでくれるわけではないのだから。
リベラルの側も、結果の平等より、機会の公平を重視しなければ、結果的に国民に見透かされるのではないだろうか。

現状に照らして、自由と平等、今はいずれに軸足を置くべきか。

国民がそういう観点から政権を選択できる──政界再編の先に、そういう世の中は到来するだろうか。
そのためには、政党ごとの理念、主義・主張が明確にされることが前提のはず。
同時に、国民の判断力も問われる。二日酔いのテレビ司会者の発言に同調するばかりの国民では困るのだろうけれど。
【無税国家論】
政府が経営努力をして国費の一部を積み立てていけば、将来はその運用益で国家運営ができるはず、というもの。なるほど、とくに政府が海外でどんどん稼いでくれれば、納税者としては助かる。

【フランス国旗】
後にフランス国旗となる三色旗が登場したのはフランス革命が勃発して三日目の1789年7月17日だった。青、赤、白は、それぞれ自由、平等、博愛の三大精神を示す、とされるが、当時、国民防衛隊司令官のラファイエットが意図したのは、ブルボン王朝を表す白を、パリ市民を示す青と赤ではさむデザインだった、というのが真相らしい。三色が三大精神とはっきり結びついたのはずっと後、1958年のこと。

【公平】
『正義論』で知られる米国の政治哲学者ジョン・ロールズによれば、公平とは入れ替えが可能であること。安倍前総理の「再チャレンジ」もそのようなことを言いたかったのだろうが、本人があまりにエスタブリッシュメントなため、国民にはピンとこなかったのかも。
第2回 保守とリベラル
08.01.13
今週、国会議員の先生方は忙しい。

水曜日(16日)には民主党の党大会、木曜日(17日)は自民党の党大会があり、金曜日(18日)にはいよいよ通常国会がスタートする。
もろもろの公式スケジュールのほか、政界では、その先を見すえた動きが始まっている。
中川昭一さんたちが「保守勢力の結集」のため、派閥横断的な「真・保守政策研究会」を立ち上げた。
その研究会の最高顧問が平沼赳夫さんだが、郵政民営化に反対して自民党を離れている平沼さんを中心にした「平沼新党」の結成も噂されている。
新年早々、山崎拓さんが「リベラルを含む新保守勢力が政界再編の核になる」と発言したのも興味深い。
最近、「保守」という言葉をよく耳にする。
保守主義、あるいは新保守主義とは何か。
また、リベラル、あるいは自由主義とは何か。
これが案外入り組んだ話なのだが、整理しておかないと、二大政党制といっても、話が見えなくなってしまう。

まず保守主義。

エドマンド・バークという人の『フランス革命の省察』という本が「保守主義のバイブル」と言われている。
バークは、フランス革命とその後の大混乱を見て、カネを持った新興階級が自分たちの権益拡大のため引き起こした騒動とみなし、批判した。
バークは、個人の理性による進歩といったものをあまり信じず、個人はえてして利己主義的だから、個人の欲望のままに任せれば、社会が無秩序になってしまう、と考え、先祖代々受け継がれてきた伝統や価値観を大切にすべきだ、と唱えた。
その背景には、騎士道精神など英国の古きよき伝統への尊崇や郷愁があったのだろう。

次に自由主義だが、これが試行錯誤の連続だった。

まず古典的自由主義というものがある。
17世紀に、英国のジョン・ロックという人が「人間は自由な意思と選択で生きることができる」とした。古典的自由主義はそれまでの封建制や絶対王政への反動からか、とにかく個人の自由を重視し、放任される自由を求め、個人の自発性を大切にしようとする。
では、国家が何のためにあるか、というと、個人の自由を保障するため、と見る。その考えを徹底すれば、国家は夜警の役割でもやっていればいい、という「夜警国家論」になる。
ちなみに自由主義を建国の理念として作られた人工国家がアメリカ合衆国だ。
経済学でいえば、アダム・スミスが代表だが、彼は「個人の利己心が社会全体の利益をもたらす」と考え、みんなに経済活動を自由にさせ、市場に任せていれば、あとは「見えない手」によって自然に調整されるから、政府の干渉や介入はいらない、と考えた。

やがて大恐慌などの「市場の失敗」を経て、自由について異なる考え方が出てくる。

自由放任にしていると、そのうち貧富の差が極端に開いてしまう。そうなれば、かえって人々の自由を侵害する。それを是正するには、やはり政府が介入して、儲かった人の富を貧しい人に再配分しなければならない。
自由といっても、自分の自由だけでなく、他者の自由も尊重しましょう。社会的な公正を尊重しましょう、というもの。
この新しい自由主義を「リベラリズム」と呼んでいる。
この立場の経済学者の代表がケインズで、彼は「利己心がつねに社会全体の利益に働くというのは真実ではない」と言っている。

時代が下ると、このリベラリズムにも批判が出る。

オイルショックを経て、1970年代の低成長の時代になると、まず方向を転換したのが英国だった。
それまでリベラリズムの「大きな国家」路線でやってきて、福祉国家が行き過ぎ、「英国病」と呼ばれる状態になってしまった、という認識から、保守党のマーガレット・サッチャーは、国営企業の民営化や規制緩和などをおし進めた。サッチャーは政治的には保守だが、その経済政策は「新自由主義」と呼ばれる。
サッチャーは「小さな政府」路線を徹底したが、さすがにやりすぎではないか、ということになり、労働党のブレアが「小さな政府でも大きな政府でもない」という意味で「第三の道」ということを言い出した。

では日本の場合はどうか。

戦後の日本の舵取りを長年してきた自民党の「保守本流」は、政治的には保守だが、経済政策はリベラルで、公共事業などを通じて積極的に再配分をしていた。また、外交・安全保障面は日米同盟を重視し、ハト派の傾向が見られた。
しかし、バブル経済が崩壊し、低成長の時代が訪れるとその手法にかげりが見える。
自民党は、それまでの経済政策で何とか局面を打開しようとしたが、いくら公共事業をしても、財政赤字が膨らばかりでらちがあかない。
そこに登場した「保守傍流」の小泉純一郎さんが、サッチャー風の新自由主義的な経済政策を導入した。
要するに、小泉構造改革や、その弊害として今批判の的になっている「格差論」は実は昔から延々と議論されてきた問題なのだ。
人類は、個人の自由をいかに保障すべきか、いかに制限すべきか、というテーマについて壮大な試行錯誤を繰り広げてきた。
あるいは、この先も人類は結論を出せず、歴史が終わる日は来ないのかもしれない。
それにしても、あちこちの政党に、保守やリベラルが混じっている現在の日本の政治状況はあまりにごちゃごちゃすぎやしないか。
日本における保守主義、リベラリズムはいかにあるべきか。これから政界再編が起き、そそれが議論され、理念に基づいた二大政党制になっていくのか。なるとすれば、何が二大政党間の対立軸となるのか。
そのあたりはまた次週。
【建国の理念】
自由主義の思想を建国の理念にしたのが米国だ。ヨーロッパの圧制を嫌った人たちが新大陸に渡り、新たな国を作り上げたのだが、独立宣言の起草者トマス・ジェファーソンは「人民の二人の敵は犯罪者と政府である」とまで言い、「政府を憲法で縛りつけよう」と言った。今も米国は民間ベースの国家。どれくらい民間ベースか、というと、「市民ミリシア」という政府に無関係な武装した民兵組織がおおっぴらに活動しているほど。
第1回 ゴールは政権交代なのか
08.01.07
政界の新年会で有名なのが小沢一郎民主党代表主催のそれ。

1月1日、東京・世田谷にある小沢さんの家に国会議員約60人を含む180人ほどが集まった。その場で、小沢さん、次の衆議院選挙は「今年中に間違いなく行われる」と予測してみせて、「火の玉となって何が何でも勝利し、過半数を実現する」とゲキを飛ばした。

昨年11月、小沢さんは次のような発言をしている。

目標は単独過半数だが、それは非常に厳しい。
次善の策は野党で過半数をとること。
三善の策は衆議院の第一党になること。

その時点では、一気に民主党単独で過半数をとるのは困難という認識だった。

無理もない。衆議院における与党の勢力は圧倒的だ。郵政選挙で大量の小泉チルドレンを当選させた自民党の議席は民主党の3倍近い。
しかし、その後、防衛汚職のスキャンダルなどで民主党にまた追い風が吹いてきた。
自民党にとってはかなり強烈な逆風だ。
政界には一時、福田さんは予算成立と引き換えに総選挙をのむのではないか、春ごろ話し合い解散になるのでは、との見方があったが、自民党の支持率がここまで低下してくると、福田さんも、みすみす負ける戦いに踏み切るわけにはいかない。予算成立を自らの最大の仕事と考えているはずだから、野党に妥協しても、ひたすら耐え忍び、解散を1日でも先延ばしする気ではないか。
解散を決められるのは総理大臣の福田さんだ。
今年7月の北海道洞爺湖サミットまでは何としても解散しないだろう、とか、日本の首相として8月の北京オリンピックを迎えたいのではないか、という見方が永田町にはある。

いま総選挙があれば、自民党が議席を減らすのは確実だ。

民主党が単独過半数をとるところまではいかないかもしれないが、たとえ自公で過半数を死守しても、小沢さんの言い方を借りれば、民主党には、与党の3分の2を割るという「四善の策」がある。参院で法案を否決すれば、衆議院で再可決できなくなるから、これまで以上に与党に圧力をかけられる。しかも参議院に解散はない。客観的に見て民主党にとってかなり有利な状態だ。民主党の若手が「将棋でいえば、もうつんでいる」と豪語するのもうなずける。
小沢さんが早まっておかしなことさえしなければ、政権交代は案外近いのではないか。これまで自民党が危機に瀕すると、どういうわけか小沢さんが動きすぎて、結果的に自民党を救ってきたようなところがあるのだが。

そういう意味で気になるのが例の大連立の話だ。

昨年の密室党首会談の後、民主党内のアレルギー反応が想像以上に強かったためか、年初の記者会見で小沢さんは「考えていない」と、あくまで政権交代を目指す姿勢を見せたが、それも「今のところ考えていない」ということで、この先、日本経済の危機といった事態に直面すれば、「危機管理だ」「挙国一致だ」と実現に向けて動くかもしれない。
大連立が実現すれば、衆参のほとんどの国会議員が与党というすごい状況になる。そうなれば消費税の大幅アップだろうが、国際貢献のための恒久法だろうが、これまで不可能と思われていたことも含め、かなりのことを実現できる。憲法改正にしても千載一遇のチャンスだ。
唐突に見えた大連立構想だが、日本でこれを構想した人の頭にはドイツの大連立のことがあったのだろう。ドイツでは女性首相のメルケルさんのもと、社会民主党(SPD)とキリスト教民主同盟(CDU)が大連立を組んだ。その政権のもとで日本の消費税にあたる付加価値税が3%引き上げられ、19%になった。
女性首相というところもドイツを真似て、ソフトイメージを演出しようと本邦初の女性総理という仕掛けを考えている人がいたりして……。

政権交代がいよいよ現実化するかもしれない。

しかし、それが小沢さんの設定するゴールだろうか。
かつて経世会(竹下派)の大番頭だった金丸信という大物議員がいた。
金丸さん、「ガラガラポン」という言葉で表現したが、自民党と社会党をそれぞれ二つに割り、社会党の右派と経世会が一つになる。それにより、日本に政権を担当できる二つの政党を作るという政界再編構想を持っていたようだ。
その金丸さんにかわいがられていたのが小沢さん。
小沢さんの足跡をたどれば、政界再編こそ、最終的な狙いではないかと思われる。
1992年、東京佐川急便事件で金丸さんが議員を辞職し、竹下派が割れた。小沢さんは自民党を飛び出す。政治改革を求める国民の声は高まったが、いつの間にか、選挙区制度が焦点となり、細川政権で小選挙区比例代表並立制と政党助成金の仕組みが導入された。その動きをリードしたのが小沢さんだ。
小選挙区は二大政党制になりやすい制度だ。事実、日本の政党は二つに収斂されてきた。
ただし理念のもとに集結したというより、これまでの成り行きで分かれているようなものだから、自民党にも民主党にも、さまざまな考え方の持ち主が混ざっている。
小沢さん、自らの政治生活の締めくくりに、どのような絵を描いているのか知らないが、本当に政界再編にもっていく気なら、国民に分かりやすい形にしてもらいたいもの。
ガラガラポンということになるなら、何が軸になるのか、というテーマは次回以降で。
【小選挙区比例代表並立制】
1994年、政治改革関連法の成立で衆議院に導入された。小選挙区制と比例代表制を並行して行う選挙制度。1973年、第2次田中角栄内閣が衆議院に導入しようとして失敗している。小選挙区制の問題点として、二大政党がなあなあの関係になれば、実質的な一党独裁になってしまうこと、二大政党がどちらも過半数を取れないと小さな第三党にキャスティングボートを握られる可能性があることなどがある。